Kanchan(@kanchanblog)です。
好きなことが仕事になっていると偽りなく言えるようになりました。
ですが、好きなことを仕事にしようと思っていたわけではありません。
好きなことを仕事にしようとしていたキャリア初期の夢、憧れは粉々に打ち砕かれて、見る影もありません。
仕事、キャリアの設計は後ろ向きだったとすら言えます。
受験科目の勉強が得意で、医学や人間に興味があって、脇目も振らず医学部に入学〜卒業出来たのは良かったと思います。
その後は臨床研修医制度に乗っかり、2年間の初期研修を終えて、憧れだった脳神経外科医を志した時の話です。
格好良いと思いましたし、神経解剖と神経機能の関連性を直接みて学べることにも興味があって、好きだと思って頑張りました。
現実は「好き」の気持ちだけで乗り越えられるほど甘くはありませんでした。
激務や体育会系の医局のパワハラ体質には合わず、心身とも不調に陥りました。
「好き」という感情で人生を左右する「仕事」を決めるのは危険なことだと思いました。
結婚して家族が出来たタイミングでもあったので、脳神経外科という分野は「好き」でしたが、もっと優先すべきものがあると思ったので退局して転科に踏み切ることが出来ました。
それからは「好き」かどうかより「嫌いじゃないか」「続けられるか」を重視して頑張って来ました。
「無理なお願い」は頑張れば出来ても「無理」と断わることに決めました。
好きな仕事の好きじゃない部分、人間関係の許容範囲、労働条件と公平性、見ないで済んだらとりあえずは楽なことに目を向けて、解決していきました。
みんなが取っている「専門医」を取って、長い「研修期間」には一区切りついたところで、他人目線ではなく自分目線で仕事を選んでみようと思いました。
パワハラや不公平や人間関係の軋轢はどこにでもあって組織にうんざりしていたこともあります。
付かず離れずの距離感で仕事の良いとこどりが出来るフリーランス医に試しになってみる選択をしました。
労働時間が限られていて、夜間の呼び出しはなく、給料も常勤以上になって、戻れないんじゃないかと思う次第です。
有名病院や大学や学会で出世を狙うことに魅力を全く感じなかったので、踏み切ることが出来ました。
それほど信用が無くても、雇用先があれば十分。
銀行も「医師」というだけで1億を超える融資を不動産購入のために出してくれることも証明してしまいました。
信用が全くいらない人は居ないと思います。
「信用」に自分が何を期待しているのか考えてみたら、取るべき行動は変わります。
お金なのか、仕事なのか、体裁なのか。
深く考えてみて、お金で色々とカバー出来ると言う結論に至りました。
労働の対価という形ではなく、不動産賃貸業でお金を稼ぐ経験もしました。
結果、働きやすい環境と、資産収入とで経済的に「安定」に向かっていて、勝ち取ったこれらの仕事が好きになってきました。
好きだから行動出来るというケースもあると思いますが、行動しているうちに好きになってくるということもあります。
「好き」を先行させると、やりがい搾取の憂き目に遭うことも増えます。
嫌いじゃないか、継続できるか、苦手じゃないかといった観点から仕事をして、働き方を改善していくというのも現実的な人生の「攻略法」になるかなと思いました。