どんな人?
- 2008年卒の消化器内科医(38歳)
- 妻と子供2人の4人家族
- 転科を経験(脳神経外科→消化器内科)
- 2次救急病院→大学病院→3次救急病院→2次救急病院→フリーランス
- 株式投資、金投資、仮想通貨、投資信託、不動産投資
- 趣味は船釣り、読書、ゲーム、旅行、3Dプリント
- 家族、健康、心の平安を大切にしています
- FIREしたいなと思って調べていたある日、サイドFIREしていることに気付いたうっかりさん
紆余曲折あった医者人生
「勉強で人の役に立ちたい」の1つの形として医師を志し、2008年医学部を卒業。
地域医療、外科に漠然とした興味を持つ。
学生時代には社会問題に関する学習会等に参加。
研究の道、専門家への道を目指して大学に進む同級生が多い中、一般病院でのキャリアを歩むことを選択しました。
民間病院で初期研修を開始。
研修期間中に祖母の死を経験。
発見された時には既に進行した大腸癌で、医学の限界を知っていた為に歯がゆい思いをしました。
研修病院が2次救急までを幅広く見る総合病院でしたが、もともとあった脳神経外科への興味、医師としてのスキルアップの仕方、専門的知識の学び方が学びたかったことから大学脳神経外科に入局。後期研修を開始しました。
脳神経外科の勉強は楽しかったが、あまりの忙しさと、外科医局の体育会系の雰囲気が合わず内科への転向を決意。
この辺の経緯は転科の経験について書いてみたにまとめてあるので気になった方はぜひ。
一般病院消化器内科へ転向した後は、大学と挫折を経験したことで学び方がスピードアップしていました。
消化器内視鏡を身に付け、
脳血管造影の経験が肝疾患領域で活かされたり、大学病院での考え方、勉強のし方を学んだ経験が活かされました。
消化器内科分野の幅広さ、奥深さをやっているうちに目の当たりにしました。
上下部消化管内視鏡、胆膵内視鏡、肝臓の3大分野それぞれに専門性が分かれていて、全てを極めることは難しいと悟り、仕事が増える中で、肝疾患患者が回ってくることが多くなってきました。
必要に迫られて独学で疑問を抱えながら診療する中で、肝臓について学びたい思いが強くなり。
消化器肝臓内科のある某病院に移籍し、肝臓専門医取得に向けて勉強しました。
専門医になれば、患者に安心感を与えられる。患者を集められる。
そして、指導医になれば、専門医になりたい後輩を集められる。もっと影響力が持てる。
でもそれは皆が目指す目標を、何も考えずに目指してきたものだということに気付きました。
本当になりたい者、やりたいことなのかという本質を置き去りにして。
勤務医を辞めた
専門医を一通り揃えた頃になって、このキャリアの延長に自分の求める理想像が待っているのだろうかと悩むことが増えてきました。
消化器内科+一般内科+救急という業務で、命と時間を削りながら地域医療を支える感じ。
患者さんや御家族の常識と医療者の常識がかけ離れていることによる食い違い、不急不要の受診に対応する夜間救急で疲弊することも少なくありません。
お金、名声、技術・知識、時間はどれか諦めなければならないと聞いたことがあります。
大学病院では肩書が作る名誉と、研究機関であるが故の知識は身に付けられますが薄給で、術者になれるのはごく一部。
市中病院は給料は高めで症例は豊富ですが、忙しくて、学会活動にそんなに力を入れられず無名に終わることが多い。
産業医や製薬会社は臨床に比べると時間にゆとりがあり、給料もある程度もらえますが、無名で臨床医としてのキャリアはストップすることになる。
開業医は働く時間を決められて、患者を集められれば収入は数千万レベルまで増やせる。が、手技は一線を退かなくてはならないし、名声を得るのも余程頑張らないと難しい。
さて、どれになりたい?
既存の選択肢に、一生を費やしてもいいと思えるほど魅力的なものはありませんでした。
僕の求めるのは、成長と信頼できる人間関係、自由(そのためのお金)だと思いました。
そして、勤務医の時に感じた課題「夜勤・当直を減らし、無くしたい」を実現するためには、今存在しないモノを創る起業に行くしかないと思いました。
起業を考え始めてからの病院勤務では、給料には不満は無いので体力・気力の限界まで惰性で続けてしまい、「常識」に囚われてしまいそうでした。
また、定期的に夜勤が来て、思考が鈍り、オンコールがあって滅多に遠出はできない。
お金があっても時間的空間的自由がないと、幸福には程遠いなと思いました。
つまらない生活の中では、新しいものを思いつくことも難しい。
勢いで仕事を辞めてみることにしました。
FIREムーブメント
医師としてのバイトは継続して、それだけで生活には困らない状態は作り出せました。
フリーランス医師の存在も認知されるようになっていましたが、社会的信用は低いと言われていて、とうとうドロッポか・・なんて自虐しながら生きていました。
激務から離れると、医療者の夜勤を減らしたいという「課題感」は薄まっていくようでした。
自由時間はたっぷりあって、皆に申し訳ないと思う位自由な生活だと思います。
当直・オンコール無し、週休3日、年収1600万円
勤務医でいた時は羨ましいと思っていた待遇ですが、「時給思考の罠」にも縛られることになります。
1日休むと4連休が作れるけれど、8万円が稼げなくなる
更に4日間遊んで10万円使ってしまったから、18万取り戻さなくては、みたいな
時間を使って働いている限り、この思考から抜け出せず、楽しみが半減してしまうと思いました。
もやもやを抱えながら、YouTubeで勉強系、ビジネス系の動画を視聴していたところ耳に入ってきたのは、FIREという生き方があるということ。
Financial Independence, Retire Earlyの頭文字を取ってFIRE
生活費の25倍の資産を貯めて、その資産の4%の範囲内で生活すれば、資産を減らさず働かずに生活出来るという理屈。
米国株式のインデックス投資で、長期的には平均利回り6%、インフレ率2%を考慮しても4%で生活出来れば資産が30年以内に尽きる可能性はかなり低く、寧ろ増えているシナリオの方が多いと考えられています。
家計簿はずっと付けていたのと、ぼちぼち投資・貯金をしていた資産を集計してみました。
年間600万入ってくれば困らないかな~、ということは目標1億5千万円か~。ざっくりと計算したりして。
資産運用に力を入れて、FIREを目指していくことにしました。
価値観と向き合う
Dラボ(メンタリストDaiGo)やリべ大(両学長)と出会って、人生の価値観について考えることが増えてきました。
FIREを達成したとしたら、何をしたいかな。。。
真面目に考えてみて、思ったのはやっぱり医師として働きたいということ。
医師としての経験を活かせて、人の役に立って、感謝されるのは、かけがえのない体験だなと改めて思いました。
お金のことを考えなくて良くなったら、週3~4日医師の仕事を精いっぱいやって、自分や家族の時間を大切にして生活していくだろうなと、FIRE後の世界が具体的になってきました。
それで気付きました。
いま、サイドFIREしてるなと。
もっと言えば、FIRE後の生活が出来てしまっているな、と。
医師バイトの相場が大きく崩れることが無ければ、サイドFIREに移行して苦しむことなく生活出来る医師は多いだろうなと思いました。
ただ、所属を離れてフリーランスになると、社会的信用や安定は無くなると脅されることが多いです。
「医師たるもの金儲けに走らず医療に身を捧げるべき」
「大学、関連病院、急性期病院こそ花形。キャリアを重ねて名を上げるべき」
「臨床をバリバリやっていることこそが偉い」
医師がよく言われて、嵌りやすいマインドブロック、先入観の例です。
医師は封建的で、閉鎖的な世界に居て、「常識」から外れることを恐れやすいと思います。
上記のようなことを言われて、現状に留まってしまうことも多いでしょう。
真面目に頑張っている病院ほど、FIREとか、ドロッポとか、話題にすることも憚られる雰囲気です。
ネットの世界でしか実際に達成している人のことを窺い知ることは出来ないと思います。
このブログでは、サイドFIREした医師の一例について、価値観、人生観、資産管理、趣味の観点から考察し、報告していきます。
悩める若手医師の人生の選択の参考になれば、これ以上の幸せはありません。