Kanchan(@kanchanblog)です。
サイドFIRE生活をしている医師です。
コロナ禍で医師は社会と切り離すことが出来ない存在だという空気をより強く感じました。
職業選択の自由は万人に認められた権利で、医師にとっても同様であるはずなのですが、「医学教育に税金が投入されている」「医師は聖職で他の職業とは一線を画している」といった考えは残っていて、様々な団体の様々な思惑も入り混じって「医師はこうあるべき」というステレオタイプが存在しています。
そんな「世間の求める医師像」は、強制力もなければ、一貫性も合理性もありません。
そういう「ふわっとしたもの」に影響されて無駄に自分を責めたり、本心とは異なる進路を選んでしまったりするのは共感能力があって優しい医師なのだろうと思います。
「優しい医師」の心の負担を軽く出来るように、この記事を書きたいと思いました。
医師にまつわるステレオタイプの例
教育に税金がかかっているのだから社会に奉仕するべき
一昔前にセンセーショナルに報じられた医学生一人当たり1億円が投じられているのだから立派な医師になって社会貢献せよという趣旨の意見です。
真面目に検証している記事を見つけましたが、医学教育だけではなく大学や附属病院の運営、研究にも使うための補助金総額を医学生数で割って算出された荒唐無稽な数字です。
純粋な教育に使われる経費は他学部とそこまでの差は無さそうです。
また、医学部は6年制で学費も安くありません。
普通に卒業して、医師国家試験に合格したら、大学や両親の期待には十分応えられていると思います。
生きていれば納税を通じて貢献することになります。医師として働けば多くの所得税、住民税、社会保険料を取られることになります。
医師は高所得者が多いですから、普通に働けば、普通の人以上に社会に貢献することになります。
納税者とか、国家とか、市町村とか、顔の見えない人々の意見は、メディアがインパクトを与えてPVを集め、広告費を稼ぐために「作られたもの」であることも少なくありません。
実際、「医師1人に税金1億円」のパワーワードは注目を集め、今でも多くの記事が見つかる状況ですから、マーケティングとしては成功した例と言えるでしょう。
誰が何のために出した情報か?吟味してみると、踊らされる必要はないと分かるはずです。
救急、急性期、臨床が医師の王道
慢性期より急性期
研究より臨床
救急が診られるようになってこそ医者
そんな価値観で働いている医師はベテラン以上に多く見受けられます。
救急病院の若手にも、急病人を送ってくる開業医に対して上から目線で対応してしまう残念な医師が時々います。
救急、急性期、臨床をやってくれる人が減ると社会が困ってしまうという事情と、それらの労働環境がブラックであることから、優越性を支えてくれる根拠が欲しいのだろうと思います。
その環境に長く居たベテランは、自分の人生を肯定することも出来るという訳です。
身を削って頑張っている自分=偉い、優れた医師
自分を励まして続けるためにこのステレオタイプを使うのは良いかもしれませんが、他人に価値観を押し付けるのはどうかと思います。
慢性期も、研究職も、救急の無い診療科も、社会に必要な仕事で、同じくらい尊重されて然るべきだと思います。
若いうちは休日も出てきて経験を積むべき
ベテラン勢が「自分たちはそうやってきて良い経験になったから、若い者もそうするべきだ」という過去の美化と自己肯定の入り混じった価値観が言わせるステレオタイプだと思います。
病気は日時を選んで発症してくれないから、平日の日中だけで経験しようとすると超急性期疾患の初期治療を経験出来る数が少なくなってしまいます。
夜間や休日の人が少ない中で対応する工夫についても、夜間や休日でないと学べませんから、夜間や休日勤務の独り立ちをする前に勉強のために出てくる時間が必要になります。
しかし、それを労働基準法を無視した働き方で行う必要があるのかどうか?です。
医師の働き方改革が漸く前進しつつある情勢の中で、昔ながらの根性論・精神論でしか教えられないとしたら、淘汰される病院かもしれないと危機感を持った方が良いと思います。
強い組織というのは「変化に強い組織」ですから。
ステレオタイプは個人の感想
ステレオタイプの正体は、願望であり、個人の感想です。
それが正しければ、有利になる団体があったり、肯定される人がいたりします。
御都合主義が具現化したものと言い換えることも出来るかもしれません。
それぞれの人にそれぞれの利害があって、好きなことを言う社会です。
我慢してそれに従ったところで、誰も何も責任は取ってくれません。
最終的に自分で進む道は選択して、後悔の無い道を歩めるようにしましょう。
私見
医師ならアンガーマネジメントを身に付けるべき
医療は医師の指示で行われます。
医師が指揮系統のトップになり、他職種のスタッフからも患者からも上に扱われることが殆どです。
専門医ともなると、他の医師からの相談を受けることもあります。
誰にも頼ることのできない環境で「孤高の専門家」的なポジションで固まってくると、自分が偉くなったと勘違いする医師が出てきます。
キレて暴言を言ったり、理不尽なことをさせたり、パワハラ・モラハラをしても「医師なんてそんなもん」と認容されてしまう環境もあると思います。
医師が少ないからと言って特別扱いをするのは健全ではありません。
それこそ、社会的責任を果たせていないと思います。
キレて感情をぶつけて相手を深く傷つけるようなことが無いように、アンガーマネジメントを身に付けることは医師の義務にしても良い位だと私は考えています。
医師なら説明出来ないことはしないようにするべき
企業コンプライアンスを語る文脈で言われることもある言葉ですが、全ての判断、行為について「相手に説明出来るかどうか」自問した方が良いと思っています。
説明出来ない場合というのは、後ろめたさ(不道徳)であったり、自分の理解が不十分であったり根拠が無かったり(不勉強)することがよくあります。
「なぜいくつも降圧薬がある中で、導入するのがカンデサルタンなのか?」という質問に明確に答えられますか?
①「使い慣れているから」
②「製薬業者から接待を受けたことがあるから」
③「ARBが高血圧診療ガイドラインで第一選択になっているから」
③は正しいが薬を限定する根拠ではなく、②も本音としてあっても言いにくく、①に落ち着いてくるのではないでしょうか。でも3つとも明確さは足りないと思います。
薬一つとっても、こういう問いに向き合ってよく調べた上で使う姿勢が大切だと思っています。
医師なら良い判断が出来る仕組みを作るべき
人間、複数の病気を抱えて来ることは多いので、専門外の対応をしなければならないことも少なくありません。
しかし、全てを一気に解決しようとすると時間もお金もいくらあっても足りません。
現実的には主訴にフォーカスして診断し、それが手に負えるものかどうか、それ以外の可能性、治療方針について考えて、患者さんと相談しながら進めていくことになります。
まず必要になる判断が、治療をするのか・しないのか・経過観察するのか。
診断がはっきりする場合は、するのか・しないのか「白黒つける」ことが出来ますが、はっきりしない場合の方が多いくらいで、経過観察となることがとても多いです。
臨床の現場では、「医師の選択疲れ」は必発です。
主訴に関連する疾患だけじゃなく、副次的に見つかった疾患についても方針を決める必要がありますが、受動的に「経過観察」されることが多くの患者さんの多くの疾患で見られます。
「がん疑い」の経過観察を失念していて危なかったケースもありました。
責任を取るということは「手に余る問題を発生させないようにすること」
判断基準、フローチャートを作って、現場での判断は自動化して瞬発力を高めることが対策としてはお勧めです。
命に関わる大切な決断は、複数の医師で日中の判断力のある時に熟慮した上で行う仕組みにすることも重要な対策になると思います。
まとめ
色々と好きなことを書かせて頂きましたが、上記も私個人の感想です。
従う必要はないし、「そういう考え方もあるのね」と読み流して頂いて構いません。
医師が直接的にも間接的にも他人の人生に小さくない影響を与える職業であることは事実だと思います。
自分を幸せに出来ない人は他人を幸せにすることは出来ません。
だから医師はまず自分を苦しめるものを取り除き、自分を幸せにする方が良いと思います。
最終的には多くの関わる人々を幸せにすることに繋がりますから。
最後まで読んで頂きありがとうございました。