仕事

キャリア観について考察

仕事は人生を語る上で、言うまでもなく重要な要素である。以前記事にしているし、プロフィール記事にもなっているが、人の認識は日々変化し、その変化について解釈を変えてしまう人間の不合理さもあるため、現時点でのキャリア観について書いておこうと思う。

人の役に立ち、人の生命に触れて、感謝される事も多い、やりがいのある仕事ということで医師を選んだ。

給料が良い。働き口に困らない。そういう表面的なことも無視できない要素だと思った。

社会的には医師は聖職というよりは、一労働者と認識されるようになってきた時期でもあった。

研修医の扱いも全国的に変わった。専門医の扱いも変わろうとしている。

どんな医師になりたいか。」

自問自答し続けた医師人生だった。

医師人生の歩み

幅広く診ることができて、専門性も持った医師になりたいと思って、一般病院で研修をスタートさせた。

それは間違っていなかったが、後期研修、専門医を目指すにあたり、専門性の弱さと指導体制の弱さが気になり、病院を変えて、大学で脳神経外科の研修に進んだ。

大学病院の仕組み、関連病院の仕組み、脳神経外科の専門性、学問的な学び方、学会発表やプレゼンテーションのお作法、手術の学び方、大学医局という文化。全てが新しくて貴重な学びになった。

しかし、過酷な環境で私生活を犠牲にして医局人事に振り回される10年近い歳月は、支払うコストとしては大きすぎると思った。最終的にどこでどんな医療がやりたいかということも考えてみた。

脳外科医として自信を持って働いているイメージはどうしても出来なかった。

そして、5年目で内科系で一番興味のあった消化器内科を一般病院で学び直してみたいと思うに至り、転科することにした。

専門性を持っていることは、病院で診療する上で自信になると信じていた。

転科したばかりの頃は、総合診療医としての仕事がメインになったが、大学で学んだ「専門性の勉強の仕方」で消化器内科症例を経験として消化するうちに、指導体制の薄い病院だったが、着実に力をつけていくことが出来た。

それでも独学でガイドラインレベルの診療をしているのを、専門医レベルと言っていいのかどうか。確信が得られない日々が続いた。

消化器内科の先輩医師に相談して、治療方針については「何となくだけどそれでいいんじゃないか。他に方法もないし。」と返されることが多くなった。

内視鏡の医長に就任したこともあった。

名ばかり中間管理職の始まり。上から目標が与えられるだけ。異論を唱えたり、他の選択肢を出したりしても、「検討する」で、返事なし。

経営的に厳しい時期であったことは分かっていたが、個人をもう少し尊重してもいいんじゃないかと思った。

今一つ確信が持てずに診療していたことの答え合わせをしてみたい。専門医資格を取りたい。そんなモチベーションもあり、他院に移籍してみることにした。

結果として分かったのは、診療のレベルについては大きく間違ったことはしていなかったということ。

もっと積極的に検査・治療しても良かったということ。

稼げている病院の運営方法について。

そして、他所は他所で科ごとの軋轢や、経営手法に合うかどうかという問題があるということ。

環境を変えてみると、当たり前が当たり前でなくなる。病院の在り方について多くの気づきがあった。

同時に、自分についても気づいたことがあった。

「僕は自信を追いかけてキャリアを歩んできたんだ」ということ。

専門性や得意なことがあれば自信が付くと信じていたが、専門医を取って、地位が固まってきた今でも追い求めてきた「自信」は身についていなかった。

気づきは転機になる

同じ場所でただ耐えているだけでは気付くことは出来なかったと思うから後悔はしていない。

僕にとって真の自信とは穏やかでいられるメンタルの強さであったり、時々ダメになってしまうことのある自分を受容し、さらけ出すことが出来る強さであったりするのかもしれない。

自信と呼ばれる要素には、自己効力感(自分の行いによって自分自身や周囲を変えることが出来るという感覚)、自己受容(ありのままの自分を受け入れることができること)、優越感、自己肯定感、様々あるが、自分に大事なのは自己受容だと気付いた。

専門医や経験によって出来る自信というのは、優越感、自己肯定感なのかもしれない。それは違ったということだ。

忙しい仕事に耐えようとしていると、どうしても無感情になってくるところがある。そのままではいけないと思った。

プライベートが少ないような忙しい生活から離れて、よく寝て考えられるようにしようと思った。

仕事のうちで楽しいこと、やりたくないこと、得意なこと、苦手なこと、分けて考えてみたいと思った。

得意なこと、楽しいことで、自分の力で稼いでいけるようなものを見つけたいと思った。

結果として今はフリーランスの医師として内視鏡、内科、訪問診療、研修指導と、場所やタスクを限定せずに働いてキャリアを模索している。

常勤で働くべきだとか、昔ながらの考え方をする人が、医療業界の上の方にいくほど多いかもしれない。

自分の中にもそんな先入観があって、常勤辞めた当初は後ろめたさを感じたこともあった。

だが、人は自分が思っているより他人に対して興味がない

自分で自分を責めるか、認めるか、選ぶことはできる。

認めようが認められなかろうがそこにいる自分は自分だ。

家族から仕事について言われることは無かったため、自分の気の持ちよう一つだった。

原点回帰~どんな先輩になりたかったか~

研修医の頃、上級医に相談した時に質問に疑問を返すような返事があって、自分もそんな医師になってしまうのは嫌だった。自信なさげな人ばかりだと思った。

問題解決できるかどうか、に医師の力量を見るようになった。そこには専門医かどうかはあまり関係なかった。勉強していることと、問題と向き合う態度だ。

写真見るだけ、人の聞いたことを鵜呑みにする、患者に会いに行かない、責任取らない、そんなんじゃ問題は解決できない。相談主の悩みを解決できない。

当時の上級医に対して感じた苛立ちが、反面教師となり、問題を解決できる能力を身に付けようというモチベーションになった。

自分の場合

ある程度の経験を積んで、専門医になり、問題解決能力が身に付いたらどうなるか。おそらく多くの中堅からベテランに差し掛かった医師は、仕事が多くなって、研修医の相談なんかに悠長に付き合ってじっくり説明してあげるような時間はない。

例に漏れず研修医から相談されることがあっても、忙しくて「勘弁してくれ」と思いながら答えていたと思う。

彼らの事情、到達レベルを気にかける余裕など全くなく、必要なオーダー、指示、カルテ記載をさっさと済ませてタスクリストから消去。そんな一業務に過ぎない関わりだった。

その後関わった研修医に「よく教えてくれて勉強になった」と言われていた。僕はその事をあまり覚えていなかった。

その時の研修医が育って病院の主力になり、再び関わることになり、研修医を教える仕事に繋がってくるとは、思ってもみなかった。

得意・不得意は、自分で理解しているものより、他人から評価されているものの方が参考になるのかもしれない。

研修医教育の挑戦

自分では、他人に教えることは得意な方ではないと今でも思う。

正しいと思うことをするだけ。そこから学ぶも自由、学ばないも自由。

それで良いと思っている。

主体性のある、自律した人間であれば尚のこと矯正することに意味はない。人間の矯正を頑張っても、組織として受け入れられる人間の幅が狭くなるだけ。

手本を示すことが一番の教育になると思っている。ロールモデルを実演するようなものだ。

完全なロールモデルもない。ある一部分、ある領域のみ、あるやり方だけでも、学べるところがあれば真似してみる。そんなもんでいいと思う。

それは教育者としては無責任なのかもしれない。でも、責任を強くすれば、強制力や権限の強化が付いてくる。

教育は正解は人によって違う、難しい領域だ。

医療についても同じことが言えるかもしれないが。

当たり前だが、研修医は医師として育っていく。

将来どんな医師であってほしいか、が教育の原点だ。

病院に残って欲しいとか、何科に入って欲しいとかは些末なことだ。

これまた正解のない話であるが、僕は勉強し続ける医師になってもらいたいと思う。

だから、知らないことを「知らない」と言い、調べて勉強することを癖にしていることを見せることが大切だと思いながら彼らと接することにしている。

何も考えなければ通り過ぎて消えていくばかりの臨床の中で、振り返りを習慣化し、改善を続けて、「経験」にしていける人になって欲しいと思う。

これについてはフィードバックを受けながら自分の方も改善を続けたいと思う。

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一般内科、消化器内科、救急、脳神経外科、大学病院、関連病院、民間病院。色々な医療現場を経験してきました。 医療×テクノロジーで未来を創造することが夢です。

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